怒りがおさまらない
私は色が白かった。沖縄で私より色白の人を見ることはほとんどなかった。さらに髪もやや明るい茶系で、そのためハーフと思われたこともしばしばあった。けっして嫌ではなかったが、なんども行く先々会う人毎に同じような事を言われたり訊かれたりもすると うんざりもした。その後コンプレックスのようになる。社会人となり、外で日当たりのいい仕事を好むようになっていく。普通の色になりたかった・・・そしてそうなった。
このブログに登場したことはないが、私には高三の息子がいた。私に似て出来が悪く、去年の2学期終了時点で追試科目多数あり、さらにあと1日、それもたった2時間欠課するだけで卒業どころか、留年が確定すると担任から連絡があった。これまでのつけがまわってきたのだ。家中が深いためいきにつつまれた。卒業は絶望的であったのだ。
ところが、それから彼は変わった。いっしょうけんめいに勉強し、まじめに学校へ行く彼の姿をずいぶん久し振りに見た。「一年のときから、これくらいまじめにやってればな~」 「だっからよ」などと日常の会話もはずむようになり、はじめて勉強が楽しくなったと進学も決め入学許可ももらい、あと4年勉強するぞと意気込みまでみせるようになった。そして卒業も決まり、本人曰く「奇跡だ~!」と胸躍らせていた。
卒業式、ひとりひとり名前を呼ばれ卒業証書が手渡される、そして彼の名前が呼ばれた。あんなにたのしみにしていた卒業式に彼はいなかった。。朝、いそいそとでかけていったのに・・・。
卒業式の直前、その茶髪なんとかしろと帰されたらしい・・・。
私はわかる、彼は染めていない、ただ、私によく似ただけだ。去年まで素行はよくなかったかむしれない、私もなんどか学校に呼び出され指導相談となったこともあった。ただし、ほとんどいわれのない事ばかりであった。これまで彼との日常の会話でも、部屋からも一度もタバコの匂いをかんじたことはないし、一度だけ茶髪にしたことがあったが、まもなく自ら丸坊主にしていた。その一度だけのことを正直に指導担当に話したため、その後 目をつけられるようになったようだ。当然、私は何枚か自身の写真を持参し抗議もしたのだが・・。結局その場だけで、彼に対する執拗な指導は その後もなんら変わることがなかったようだ。
3学期に入り、彼は我慢した。白髪染めなどを使い髪を黒くした。いつのまにか白髪染めが落ちていたのだろう。
彼は今、荒れている。
かけてやれる言葉がみつからない。
この忌わしい記憶は彼の中で一生残るだろう。
私も今だ怒りがおさまらない。
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